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学生と拝師弟子の報告 ~一年の歩みに変えて~

このブログを立ち上げる前から恒例の、今年一年の振り返りです。
2015年は、5月8日に開門弟子である加藤ひとみさんが永眠され、内功武術 明鏡拳舎にとって、大きな大きな悲しみに襲われた年でありました。
明鏡拳舎の学生や拝師弟子はただ一人、学生K.Fさんだけとなりましたが、生徒の皆さんも様々な形で会に協力してくださり、学生のK.Fさんも本当に一生懸命になって、会を支えてくれました。
そして年の暮を迎えてみれば、生徒の皆さんの一段と成長した姿を喜ぶとともに、新たな学生と拝師弟子を迎え入れることが出来ましたことを、ここにご報告させていただきます。
まずは、師父の主催している極峰拳社から正式に明鏡拳舎に移籍した私の実の妹が、2015年12月16日をもちまして、加藤ひとみさん、K.Fさんに次いで、新たに3人目の学生として加わりました。
妹は、今年11月3日に開催された廣瀬義龍先生の主催する散打大会においては、女子の散打部門で3位の成績を収めております。
もっとも、師父の極峰拳社に在籍中には、準優勝した事もありますので、移籍して結果を出すということにおいては、まだまだこれからといったところでしょう。来年はしっかりと身を結ぶことを期待したいところです。
そしてもう一人。年末も押し迫ったつい先日の12月29日をもちまして、学生のK.Fさんを二人目の拝師弟子として、内功武術 明鏡拳舎に迎え入れることとしました。
K.Fさんは、一般生徒として4年2か月。学生として1年と1ヶ月少し。合わせて5年3ヶ月という月日を学んできました。それを長いと見るか、それとも短いと見るかは人それぞれあるかと思いますが、どちらにしても修行はずっと続いていきます。
学生や拝師弟子については、我が門においては「この武術で必要なものは、真摯な気持ちだけ」という言葉があるように、決して技術的な才能や格闘技的な強さという事だけで選ぶものではなく、人間性を見て伝えるべき人に伝えていくというスタンスですし、自分はそれを愚直に信じて貫いていこうと思っています。
パラドックス的ではあるのですが、そうでなければ繊細なこの内功武術の技術は伝わっていかないでしょうし、その真の価値を見出すことも難しいでしょう。結局は門を、そしてこの技術体系を、どれだけ大切にするかという姿勢こそが確かなものを形作ってくれるわけで、そういう意味では、結果的に明鏡拳舎の学生や拝師弟子がここまで3人共が女性であるということも、何か象徴的にも感じます。
このブログを書いている現在、今年ももう僅かとなりましたが、今年一年の様々な出来事を通して、自分自身、たくさんの大切なことを学んだように思います。
開門弟子の生きる姿とその死から学んだ事。学生試験や拝師弟子を受け入れる事を通して自分自身を見つめ直す事。そして、尊敬する師祖父から弟子の死を通して初めて御言葉をいただいたことは、自分の人生観を大きく変えたようにも感じています。
この学び多き一年に、心からの感謝を込めて。
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「二つの太極拳」

最近、もう一つの太極拳にはまっている。
 一つはもちろん我々の双辺太極拳だ。
陳式、楊式、呉式を研究された陳pan嶺先生が、形意拳・八卦掌の要素を加味して創始し、張榮明師祖父がそれぞれの要素をより際立たせた形で新たに編纂した、自分が本当に素晴らしいと惚れ込んだ太極拳である。
 ではもう一つの太極拳とは、なにか。
もしかしたら他派のものか?というと、そうではない。
最近、ハマっている太極拳。それは、あえて「八卦掌と形意拳の要素を抜いた双辺太極拳」なのである。
このブログを始めたときは、確かに形意拳と八卦掌については、より純度を追求していくというスタンスであったが(注:それは三拳融合を試みられた中で絶対的に混じり合わないものがあり、その混じり合わない要素をその拳法のオリジナリティと捉え、それらによって構成されていると言う意味で)、太極拳だけは三拳が含まれていることこそ双辺太極拳の特徴であると思っていたし、そこに独自性や誇りと感じていればこそ、形意・八卦の要素を抜くと言う発想は全くなかったといってよい。
 ところが、
「八卦掌と形意拳の要素を抜いた双辺太極拳」
という発想が、ふとしたきっかけで生まれた。
 それは、軽い気持ちと思いつきで始めた作業ではあったが、実際にやり始めてみるとその面白さにどんどんはまっていくのを感じた。そして不思議なことに、シンプルな太極拳にしていけばいくほど、かえって三拳の繋がりが感じられるのだ。
違っているのに、かえって繋がる。
これは意外な効果でもあったし、予想外の展開でもあった。
また、いつもの双辺太極拳とは違った効果もあるのも、いろんな人の感想からわかってきた。
我々の双辺太極拳は、段階が進めば進むほど八卦掌の要素が強くなっていくが、それをあえて「抜く」という方向に働かせるのはまさに逆転の発想であろう。
 しかし、こうしたフレキシビリティを持つというのも、我々の三拳弊習のスタイルとも言えるのかも知れない。
ちなみに、三拳融合をはかった我々の双辺太極拳から形意拳と八卦掌の要素を抜けば、純粋な太極拳が現れるのかと言うと、そういうわけでもない。
確かに技の中には一部、先祖がえりのように、陳式や楊式に出てくる形に似たものに変わってしまうものもあるが、やはり全体としては、いずれの太極拳とも違う「我々独自の雰囲気と理合いを持った太極拳」と言えるだろう。
 それら技の変化の過程を味わうことが出来たのは良い経験と気づきであったし、何より、我々の太極拳の解釈とはこうなのだということが、より明確になってきた。
明鏡拳舎では、普段の双辺太極拳と区別するために、太極拳的なエッセンスを学ぶ為の套路と言う意味で「精花太極拳」と呼んでいるが、その精花太極拳は素直で非常にシンプルでありながら、生徒たちからの評判も良い。
というより、冒頭で書いているようにまず自分自身がはまっている。(笑)
 素直でシンプルな精花太極拳。
 これを亡くなった弟子に見せたなら、きっと「うわーっ」と目を輝かせて喜んだに違いない。常に「痛み」に苛まされ、歩くことすら難しい状態だったであろうに、この武術で培った繊細な重心移動や立ち方で、「歩く」ということを「再現」していた弟子。
 この精花太極拳がもっと早く生まれていたらと、ふと考えをめぐらせてしまう。
 「成長 ~ 日記より(1)~」に書いた、弟子の太極拳のこと。
「日曜日の午後、お見舞い&個人レッスンでH.Kさんの病室に伺った時、外の光が射す白い壁の部屋の中で、H.Kさんの太極拳を見せていただきました。一切の無駄のとれた、素直で、美しい太極拳でした。点滴のチューブを付けながら、手術したばかりの身体で、自分の身体を感じながら丁寧に丁寧にこの太極拳を打っているH.Kさんの姿が目に浮かぶようでした。それは、第二の站椿を形をとりながら、小さな歩幅で行う、動きの少ない太極拳でしたが、真面目に地味な站椿をする事からはじまり、僕が教えた通り真摯に意識して感じながら行っている姿が、H.Kさんが積み重ねてきたもの全てが、そこに見えた気がしました。套路は嘘をつきません。僕は、こんなに尊い太極拳を見たことはありませんでした。」
その弟子の太極拳に応えるような太極拳が、今になって自分の中に出来上がった、そんな気がしてならない。
そう。弟子や学生も含めて、生徒たちがいなければ生まれてこなかった太極拳だ。
例え周りにとっては価値は感じられなくとも、我々はその効果を知り、様々な意味を持ちながら大切に思う。
一人一太極拳。
そんな太極拳があっても良いだろう。

「ポジショニングと内功武術」

ポジショニングはポジショニングでも、今回は介護の「ポジショニング」に絡めた話である。

介護と武術というと、巷では古武術の技術や身体操作を介護現場に活かすということが何年も前から時折話題にあがっているので、今更と思われるかもしれないが、今回の話は介護の技術を武術にという話だ。
以下は、ふとした思い付きから最近、教室で初めてポジショニングの視点から教えた時の生徒の感想である。

◆「今回の先生の、介護でのポジショニングのお話しを含んだご説明で、自分はなぜあんなに新鮮にかんじたのかな?と考えておりました。僕の中で変わったのは、練習の時等、その時点での自分にとっての答えが、自分の中にあるという感覚が増えた気がします。太極拳もゆっくりと練習してみましたが、ゆっくり行う目的を、以前より感覚的にも持てて嬉しく思いました。」

読んだだけでは何となく流れてしまうかもしれないが、この感想は、クラシック音楽のプロのギタリストであるYさんが書いてくれたものだ。

非常に繊細な身体感覚を持つ彼の言葉は、まさに自分が教えながら感じた感想そのもので、ある意味、初学者が掴みにくい内功的な部分が、ポジショニングのアプローチを使うと、彼の感想のようにとてもシンプルに捉えることが出来るのだ。

同じ意味の事は普段の練習でも教えているし、推手含め、具体的な練習方法もある。だが、それでもなお新鮮さを感じ、効果があったということは、そこに新たなヒントがあるということだ。

そもそもそのポジショニングとは何か?という話については、このブログを書くにあたって「わくわく直観堂」さんのホームページを参考にさせていただいた。

http://www.waku2chokkan.com/hpgen/HPB/entries/101.html

そこに書いてある部分を抜き出してみると、

ポジショニングは、「目的を達成するために身体各部の並びを整えてふさわしく、好ましい姿勢、体位を実現する。その姿勢・体位は安全で快適であること。」を意図したものであるということ。

またポジショニングの肝は、安定して体位を保持する、筋緊張を緩和する、体圧を分散する、動き出しの起点をつくる、という事にあるということ。

こうしてみると全体的な雰囲気として近いものを感じるかと思うが、このポジショニングの技術は、内功武術における「まず自分の身体を感じる」ということについて、新たな視点からのアプローチになりえると思うのだ。

普段よく思うことは、初心者に「まず感じる」と言っても、「何を」感じれば良いのか?それが難しい。感じるということは実感してわかってしまえばシンプルな話なのだが、わからないうちはその要求は非常に曖昧で抽象的なものだ。

ところが、ポジショニングの技術は、その導入の難しさを容易にしてくれるのである。

もちろん、それが初心者に限らず、我々にとっても意外な効果をもたらすことは、Yさんの感想でも明らかだ。

では、その「感じるものとは何か?」。

一言で言えば「力」だ。

「心、意、氣、力」の「力」。

そしてそれは、「大きな力」ではなく、「小さな力」。

介護の技術を武術にと言えば、「心、意、氣、力」の四つの視点からすると「心」がテーマになるのが相応しい気がするのだが、今回のこの話は、それが対極にある「力」からのアプローチの話になるのが面白いところだ。

だがそれも、相手の状態を理解する、相手の気持ちになろうとして生まれてきた技術と考えれば、それが「感じる」為の具体的な技術というのもしっくりくる。

重度の身体障がいを持った方というのは、コミュニケーションをとるのが難しい場合も多く、介助者が状態から想像するしかない。そして状態をより正しく把握する為に考案されたのがポジショニングの考え方とも言えるであろう。

ポジショニングとは、確かに簡単に言ってしまえば「楽な体勢を確保するための技術」であるが、その状態を確保する為の過程には、上述の知識のもとに相手の様々な「力」を感じながら、状態を探っていくことが不可欠だ。

「力」によるアプローチから相手の状態を理解することによって、介助者の思い込みによらずに、より適切な体勢を確保することが出来るのである。

我が門には「極端にしてみることで、気づきがある」という教えがあるが、内功武術の目で見ればなんのことはない、自分がポジショニングを行っている現場とは、身体や力を感じるということにおいて、あくまで同一線上にある一つの極まった状況と捉えることが出来るであろう。

自分の場合、少林寺拳法や大東流においても、整体の基本的な考え方を教わった事で技が大きく変わった経験をもっているが、結局は、治す事も壊す事も表裏一体というように、これもまた陰陽だということだ。

内功武術はつくづく繊細で緻密なものだと思う。

繊細で緻密というと、こと武術においてはこれらの言葉を聞いた場合、大抵の人が思い浮かべるのはどちらかというと「繊細で緻密だが、脆い」というようなネガティブなイメージではなかろうか。

というのも、繊細で緻密なのは「巧さ」の表現であって、「強さ」とは結びつきにくいからだろう。

だが「繊細で緻密だからこそ、構造的にしっかりして無駄がなく効率的」なのが内功武術である。

それは強固な建造物が、資材の一つ一つを吟味し、緻密に計算された上で、繊細な作業によって造られているようなものだ。

このブログでは、内功武術のブログにもかかわらず呼吸法や氣や経絡などと言った、いかにも中国武術的な話はほとんど出てこない。

だが、それだけでない内功武術がある。

理にかなった動作や武術というものは、それだけでたくさんの語るべきものをもっているはずである。

「心、意、氣」のみならず、「力」についてこんな風に語れることこそ、内功武術ならではの味わいではなかろうか。

弟子への返信

自分がまだ門を率いる立場として新米だからか、師と言うものは常に自問自答を繰り返しているものだな、とつくづく思う。

教えるという事は、遠い道の先を見据えながらも、現状を受け入れつつ次の一歩を示すことだ。何か出来ないことが出来るようになったり、わからないことが分かるようになったという事は当事者にとっては大きな変化だが、大抵は全体からすればごく小さなことで、小さな結果を積み重ねてもなかなか周りからすれば、あまり進歩しているようには見えないものである。

だが、今回は一つの大きな結果を御報告させていただこうと思う。

「収徒拝師式に寄せて」の回に、2014年7月17日に弟子のH.Kさんが、肺に癌が、左股関節のところに腫瘍ができていたことを書いた。
癌による数度の手術を乗り越えての再発だった。もう、抗癌剤や手術に耐えられる体ではなかった。しかも抗がん剤については、最初こそ効力を発揮したものの、その後の2回目以降はほとんど効果がなく、副作用に悩まされるだけだった。
つまりある意味、これ以上医学的には手の施しようがない状態だったのだ。

だが、その癌の再発が発見される前から石原結實先生のサナトリウムにて温泉&食事療法や、いくつかの補助的な自然療法を行っていた。もちろん、その中には我々の内功武術も入っている。

石原結實先生に初めて診察してもらった時の言葉は、手術によって癌が無くなったことを褒められるような言葉ではなく、「予断を許さない」だった。思えばその時から…いや、一度癌になれば、必ずやこの「再発」という言葉が浮かばないときはないだろう。だからこそ、根本的な治癒が必要だという事を強く感じていたし、再発の事実を冷静に受け止めることが出来たのだと思う。

その間のH.Kさんの様子はと言えば、練習中、手術後の痛み等で時々休憩したりはするものの、とてもそんな大変な手術を去年と今年だけで何度もしたようには思えないような元気な姿で、毎回、宇童会に参加していた。

そして、とうとう同じブログに
「サナトリウムでの療養もまだ始めたばかり。
 そう。全ては、「これから」だ。」
と書いたことについての経過報告を、書くことが出来る日が来たようだ。

以下は、会員向けの「宇童会だより」という、毎回の練習後にいただく感想に対して一人一人にあてた返信をまとめた会報メールであるが、今回そのH.Kさんにあてた今回のタイトルでもある「弟子への返信」である。

★【宇童会だより435】より

2014.12.13

癌は39度以上で死滅していきますからね。身体はしんどかったでしょうが、我々にとっては嬉しい兆候です。
なにより、今回の検査でHさんの身体から肺に転移していた癌が消えたことが、それを証明してますね。ようやく…ようやく待ち望んでいた“転”の段階に来ましたね!

12/11に届いたメールで

「なぜなら、先生、
 信じていましたけれど、信じていましたけれど、信じられないことに、
 肺のガンが消えていたからです。
 (主治医の)K先生はこんなことはあり得ない・・・と。」

という部分を読んだ時には、「ここまで本当に長かったな」と思わずにはいられませんでした。

やめること、あきらめることはいくらでも理由が見つかりますが、信じて行動し続けることはとても難しい事です。ましてや、数度の手術の上の再発でしたから、その事実だけでも、信じ続けるという事の難しさを物語っています。

正しく信じる事の難しさはそれだけではありません。「信じる」というと、大抵の人が思い浮かべるものは「盲信」か「願望」がほとんどです。しかもその願望には、無意識に(しょせん叶わぬ)がついてしまっているものも少なくありません。

周りの勝手な哀れみやあきらめが渦巻く中で、
正しく信じる人は、自分の病気や痛みだけでなくそういうものとも闘わねばなりませんから、
一体どんなに孤独な闘いを強いられている事でしょう。

家族とも、友達とも違うのが「師弟」です。

師だからこそ一心に弟子を信じ、今の結果を見てどんなに奇跡のように見える事も我々には確固たる理合があり、選んだ治療法について周りが疑問や否定を投げかける中で、それを実践し続けてきました。

それをようやく皆にも、確かな、目に見える形として示す事が出来たのです。それは治療においても相乗効果をもたらしますから、こんなに嬉しい事はありません。
だから「転」です。

手術で色んなところを切除したりしましたから、もうしばらく身体はバランスを取り戻すのに時間はかかるでしょう。
しかし一歩一歩、大切に大地を踏みしめるが如く歩んで行く中に、内功武術もまた深く身体の中に染み込んで行くに違いありません。

★ここまで

どんなに奇跡に思えることでも、肺の癌が消えたということは、必ず他のところにもそれが起こる「可能性」を含んでいることになる。
0と1ではこんなにも違うものなのだ。

もちろん、最初に緊急の事態で命を救ってもらったのは紛れもなく手術のおかげであり、しかもその先生が天才的な腕の持ち主で、身体への負担を最小限に抑えていただいたからこそ今がある。その事についても感謝しているし、どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらも必要なものだ。

だからこそ余計に、様々な治療に対して判断するということや、取捨選択をする勇気を持ち続けることは難しく、更に難しいのは、選んだものを痛みや心の恐れに負けずに、結果が出るのを待つための忍耐が必要ということだ。

いや、人の事より…もし自分なら、これらの痛みや絶望的に思える状況の連続に耐えることが出来だろうか?
弟子は一度も「先生にはこの痛みや苦しみはわからない!」というようなことを一切口にすることはなかった。

だから自問する。

自分は良い師であるか?
必要なことは全て教えてあるか?
それを身に付けさせる努力や工夫を積み重ねてきたか?
悔いを残すような教え方をしていないか?

なにより、弟子がこの武術を学んでよかったと心から思えるよう、自分自身が研鑽を積み重ね、結果を出しているだろうか?

武術の先輩の話

自分に「武術」というものを教えてくれた先輩の一人にU田さんがいる。
実際にはU田さんの方が自分よりもほんの一か月ほど遅れて師父のもとへ習いにきたわけだが、U田さんは若い頃から武術に関わっていて、不思議なほど良い武縁に恵まれている。それはU田さんの豪放磊落で真っ直ぐな人柄のお陰もあるだろう。仕事などの関係で40代で再び武術を始めるまでには随分ブランクがあったものの、その武術的な視点や動きの端々に見られるエッセンスは一朝一夕に積み上げられたのとは訳が違う。

U田さんの武術譚の一つを紹介すると、当時師事していたN先生の使いで、ある日本の古武術の老先生のところへ行った時のエピソード。その老先生の家に訪ねてみれば古い民家のような佇まいだったそうで、昔の日本の光景の如く家の扉をガラッとあけて「失礼しまー…」と言いかけたところ「ガツーンッ!」と頭に衝撃が。「なんだ、なんだ!?」と思いながらバタッと倒れると、実は、扉の影にその老先生が隠れていて棒で殴られていたという。まさに黒澤明の映画「七人の侍」さながらの世界である。しかし映画と違って、それだけでは終わらない。再びその老先生のところにお使いに出されるU田さん。家の扉の前に立つと、前回の経験から恐る恐る扉を開け、影に誰もいないことを確認し、ホッとしたところでようやく「失礼しまー…」と言いかけたところ、やはり頭に「ガツーンッ」と衝撃が(笑)。またもや「なんだ!?」と思いながらバタッと倒れるU田さん。果たしてU田さんがいかにして老先生に殴られたのかは、言ってしまうとネタバレになるので読者の想像にお任せするとして、とにもかくにも老先生の家と言うのは至る所に武器が隠してあって、いつどこで老先生に襲われるかわからないという状態であったらしい。
まるで漫画か笑い話のようだが、そう言った経験を経て磨かれた感覚は常人とは一味も二味も違う。まさに戦場の兵士の如くである。

自分の修行時代の情けない話になるが(笑)、そのU田さんの紹介で、ある達人先生の処へお伺いした時の話。練習後に飲み会の席でU田さんがしみじみ言うのには、「先生の脚が凄いよね!足の指の一本一本までが連動して動いている!」との事。その達人先生の練習は畳の上で行われていて、しかもその時は貴重な伝承の陳式太極拳を教えながら打っていらっしゃったので、何ともそこに目の行き届かない自分を情けなく思ったものである。
またある時は、公園にて某剣術の先生の剣技を見せていただいた時のこと。公園の細かい砂利の上で、裸足になった剣術の先生。達人先生の一件が悔やまれてならなかった自分は密かに「これは足をよく見なければ」と思いながら、その剣術の先生が立てた竹の間を走り抜けながら打ち倒していく様をしかと見届けたのであったが、後の飲み会でU田さんが言った一言。
「あの先生の目付が凄いよね!」
その瞬間、(今度は目付けか!)と自分の目はなんとふし穴なのだろうとガックリ肩を落としたのであった。orz
しかしそんな経験をさせて貰ったからこそ今があり、つくづく自分は色んな方々のお陰で成長出来たのだと思う。諸先生方や先輩方が直接経験した、その場の空気が伝わってくるような活き活きとしたエピソードは、そのままに学びを与えてくれる、まさに貴重な宝だ。

少し前に、U田さんと久しぶりに推手を行ったが、とても良い推手だった。U田さんの隙のない構えのままに繰り出される推手。過去や現在の色んな武術のエッセンスが混じっているものの、その奥に感じる柔らかい力強さは、まさしく共に師父に学んだ推手そのものだ。同門で誰との推手が一番かと言われれば、間違いなくU田さんの名前をあげるだろう。同時期に師父の元に集い、笑い合いながらよく一緒に練習していた事を思い出す。自分が門を立ち上げた時も応援してくれる気持ちが色んなところに伝わってきて、本当にこのような先輩がいる事がありがたく、得難い事だと思う。
他にもU田さんの体験談や稽古話は沢山あり、そのいずれもが自分の中で色んな形で息づいている。

プロフィール

Author:宇野 道夫
「内功武術 明鏡拳舎」を主宰。
陳[シ半]嶺(Chen Pan Ling)の流れをくむ
太極拳・形意拳・八卦掌
の三拳を修めている。
縁あって愛知県の江南市。神奈川県の相模原市で後継者の育成にあたっている。

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