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武術修行記 ~少林寺拳法編~(3)

一回先延ばしになってしまったが、松田欣一郎先生のお話。
あらためて振り返ってみると、この経験が自分にとって非常に大きかったのがわかる。

◆唯一、正しい少林寺拳法!?

少林寺拳法は単独組織としては最大規模の武道団体だ。また、現在の技のほとんどは開祖・宗道臣先生の弟子達によって組織的に体系化されたもので、開祖は一人一人に個人教授の形で技をかけ、それを周りで見ていた人達が「今のはこんな風にかけていた」などと話し合いながら技をまとめていったという話が残っている。そういった背景もあって、少林寺拳法はある意味、絶対と言うものがなく、例えば同じ一つの技でも「先生によって説明や、やり方が違っていても、それは各自の工夫と経験によるものでどれも正しい」というスタンスをはっきりと打ち出している。実際に「逆小手」という技一つとっても、教える先生によって様々だったが、むろん、そういった現象だけで言えば少林寺拳法に限ったことではないだろう。

ところが、自分にとっては「これこそまさに教科書的な少林寺拳法といえるのではないか?」と思うほど、理路整然と、誰もが納得するような形で技をまとめ上げていた先生がいた。それが松田欣一郎先生だ。「あらはん」という少林寺拳法の昔の機関誌で技術Q&Aのコーナーを担当されていたこともあり、もとはウェイトリフティングの選手だっただけに、理論がしっかりしていて、それでいて本に載せられた松田先生の回答は非常に分かり易かった。上手くかからなくて悩んでいた技も、とりあえず文章通りに行えばなぜか技がかかる、そのくらい要点を押さえるのも上手な先生だった。

松田先生のまとめ方を自分なりに解釈するならば、松田先生の技は少林寺拳法の礼法であり構えでもある合掌礼を全ての基本としたものだ。「合掌礼」の形は同時に「合掌構え」でもあり、技の中に出てくることはないが教範にもしっかり構えとして明記されている。一般的な構えとなる開足中段構えや一字構え、待機構え、等々の構えは合掌礼が基本で繋がっており、それも観念的なものとしてではなく具体的な人体の構造や、筋肉での力の発揮の仕方などといった視点からそれを捉えていた。説明の一つ一つがシンプルで理解しやすく、技も効果的で無駄がない。鉤手手法など、少林寺拳法において重要な技法も、全てそこに繋がっていた。

習った時間はほんのわずかの時間でしかなかったが、その考え方で他の技も組み立てていけば、いろんな技が変わっていくのが直観的にわかった。当然その後は、技と共に技の威力もまた見違えてあがっていった。その頃から、技と言うものはどういうものであるのか?ということを、深く考え始めるようになっていたと思う。というより、技に対して漠然と感じていたものが、その経験によって少しずつ見えるようになってきた。それくらい、技が変わったのだった。

今更ながら、この松田先生に習った経験がなかったら、三拳弊習の我が門の武術体系を、今のように自分の考えでもって取り組むことが出来たかどうかはわからない。

少林寺拳法ではもちろん他にも素晴らしいと思う先生はたくさんいる。坂東先生の圧法や整法、中国武術式に言うなら点穴の技術は見事だったし、あんなに軽い打撃で簡単に人は気絶してしまうものなのかとも思った。ただ、このブログにあげた先生方はいずれも他界されており、自分自身、少林寺拳法から離れて20年近くになる。
少林寺拳法には武道専門学校と言うのがあって、月に一回の講習会を受けながら11年かけて卒業する形式があり、大学在学中から社会人になって最初の一年目くらいまで(間に油絵科に研究生として一年間大学に残っていた期間も含む)通っていたこともあるくらい、少林寺拳法に励んでいた時期もあった。

しかし、途中で砂泊先生の合気道に出会い、大学四年生の時には教育実習で会津若松に戻っている間に、武田惣角先生のいた会津坂下町に大東流合氣柔術がしずかに受け継がれていたことを知って大東流に触れてからは、やはり道が分かれていったように思う。もっとも、その大東流もまた、時間や場所の関係で離れざるをえなくなり、途中紆余曲折を経てこの武術に行き着くわけだが。

ということで、少林寺拳法編はここまでで終わり、次回は合気道編となる。
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今回はちょっとした予告画像を。(笑)

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武術修行記 ~少林寺拳法編~(2)

武術修行記も、いざ書き始めるといろんなことを思い出すものである。少林寺拳法編とは言っても、今回は合気道との関わりが主となる。

◆合気の足音

大学二年から三年にかけての春休みの事。
工事現場で警備のアルバイトをやっていたのだが、ある日、休み時間に武術関係の本を読んでいたら「おっ、君は武術をやっているのか」と突然声をかけられた。声の主は清掃の仕事で入っているオジサンで、自分が「はい、少林寺拳法を」と答えるとそこから話は弾み、その方は大東流合気柔術・佐川先生の元弟子ということがわかった。もっとも、その時は漫画「拳児」に出てくる佐上先生のモデルが佐川先生とは知らず、ただ名前を知るのみだけだったので、ただそうなのかと思っただけであった。その方に技をかけてもらう事はなかったが、「写真で良い先生の形を見るだけでも、勉強になるよ」とアドバイスをいただいたのが心に残った。それから、本の活用の仕方が変わっていったように思う。

◆転機

転機となったのは、大学三年の時。その年は、少林寺拳法の国際大会が本部のある香川県多度津町で、講習会形式で開かれることになった年であった。それが何の関係があるかというと、その手伝いのスタッフとして美大の拳法部の中から何人か参加することになり、その中に自分も入っていたのである。打ち合わせから当日の準備等働く代わりに、講習会にも参加させてもらうことが出来た。もちろん、それも良い思い出ではあったが、直接の転機になったのは東京センターの資料を自由に閲覧させていただけた事にある。
当時はビデオも非常に高く、それだけいろんな武道の資料が揃って自由にみられるという事はまずありえないことだったが、それによって佐川先生の元弟子の方にいただいたアドバイスが存分に活きたのである。

自分は福島県の会津が出身だっただけに、「拳児」の中に出てきた大東流には特別に興味をひかれていたこともあって、合気道関係のビデオを見ることが多かった。むろん、某流派の大東流のビデオもあったのだが、それはどちらかというと正直期待外れで、自分が一番に心惹かれたのは「1985年 第一回友好演武会」の万生館合氣道・砂泊[言咸]秀先生の技であった。合気ニュースから出版されている「植芝盛平と合気道」の中にある砂泊先生の言葉はとても率直で、技に対する考え方も非常に興味深いものであった。

ちなみに自分が見たビデオはこちら。


また、書籍「植芝盛平と合気道」から砂泊先生の言葉を一部、以下に紹介させていただく。

「私の場合、長いこと先生についていなくても、自分の非力と言うものを熊本に来て体験しました。反発するものや素直に稽古しないのがたくさんいますよ。何百人といるのですから。技をかける前に力ずくで頑張るのですから、もうきまらない。こちらが技をかけようとするとパッと止めてしまうのです。そういうものに対しては、単なるきめ技ではきまらないです。そういう他流試合みたいなものを私は経ているのです。技が効かないという事はいかに惨めか、気持ちがどん底まで落ちた状態です。それが私の一つの貴重な経験なのです。それを克服する為にはどうしたらよいかということになった時、先生の精神的なものを目標にする以外にない(中略)和合とはどういうことか、それには力を抜く以外にないのです。体力で相手にぶつかっては駄目なのです。そういうものを私は毎日頭の中に入れ、その心の世界を技の面で表してきましたし、それが稽古の中にも表れたのです。」(185ページ)

言葉だけでは精神論的な印象を受けるかもしれないが、映像を見てから読んだ自分にはますます興味を掻き立てられ、有名な高段者の先生の映像が収められている中、自分が習ってみたいのは砂泊先生の技だと思ったのだった。

とはいえ、この頃は少林寺拳法に夢中であったことも事実で、山の手道院の松田欣一郎に教えていただく機会があったのもそういった時期であった。

ということで、ここまででも長くなってしまったので松田先生のお話は次回に。

武術修行記 ~少林寺拳法編~(1)

ブログを始めてから5回にわたり、自己紹介もなく怒涛の如く記事を書き連ねてきたわけだが、友人がmixiで自身の修行歴を書いていて自分もいつかやろうと思っていたのが、この武術修行記だ。
そんなわけで、閑話休題兼ねて自己紹介代わりの「武術修行記 ~少林寺拳法編~(1)」である。

◆少林寺拳法との出会い

中学で剣道を3年間経験し、一浪して美術大学に入った自分は、なんとなくまた剣道がしたいと思っていた。ところが、大学の剣道部はほとんど活動がないような感じでどうしようかと思っていたところに、クラブ紹介でふと惹かれたのが「少林寺拳法」だった。この頃は、他所の大学だといわゆる「体育会系」の空気もかなり残っていたが、そこの先輩たちは美大にくるだけあってそういう気風は嫌っていながらも、美大らしい愚直に何かを追い求めようとする空気があった。他にもそれを感じたのか、この年と言うのは男女含めて12人が大量入部した年だった。

この時、教えてくださっていたのが、後に八王子南道院の初代道院長となる米木美明先生。奔放でありながら、いつも自分がまず学ぶ姿勢というのを生き生きと示してくださっていた。
部を創設した初代の先輩は、米木先生がそういった人柄だったこそ、「だからあんたに頼みたいんだ」といってお願いしたそうだ。

少林寺拳法では年に2度、全国から集まって大学合宿というものがある。夏と冬、そのどちらかに参加するわけだが、大規模なだけあって少林寺拳法の高段者の先生方も指導者として何人か集まるので、そういった技を見ることが出来る貴重な機会でもあった。練習は段位や級別に分かれているにもかかわらず「あの先生がいいんだ」となると、率先して抜け出してその先生の技を見に行くような先生で、むろん、自分たちもそれに従った。
例えば「歩く教範」と言われる梶原道全先生の説明や技などは、教範に書いてある内容を「なるほど、そう解釈して行うのか。確かにそのままだ」と思わせるものだった。
当時、梶原先生は60を過ぎていたと思うが、講義の後のあちこちで技の確認や質問をしている時間帯の中で、ある大学の女子生徒が「すみません、私と乱捕りをしてください」と梶原先生にいわゆる組み手を申し込んだ。補足しておくと、今はどうかわからないが当時の少林寺拳法は自由組手はほとんど行わないし、どちらかと言うと禁止しているような空気があった。そんな状況の中、梶原先生はそれを引き受けると、開始の合図とともに、すっと繰り出したのが飛び二段蹴りだった。まさか、背が小さくお年を召した高段者の先生がいきなりそんな大技を放ってくるとは誰も予想しておらず、あっさりと決着がつくと「相手の虚をつく。それが少林寺拳法だ」と言って笑っておられた。そんなエピソードを直に見られたのも良い思い出だ。

その後、山の手道院の松田欣一郎先生に講習会の合間に技を質問させていただいたのがきっかけで自分の技が変わっていくのだが、とりあえず今回はこの辺で次回へと続く。
プロフィール

Author:宇野 道夫
「内功武術 明鏡拳舎」を主宰。
陳[シ半]嶺(Chen Pan Ling)の流れをくむ
太極拳・形意拳・八卦掌
の三拳を修めている。
縁あって愛知県の江南市。神奈川県の相模原市で後継者の育成にあたっている。

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