スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

言葉

自分の師祖父はこう仰っていたそうだ。
「違う国の生徒に本気で教えようと思ったら、弟子が先生の国の言葉を覚えるよりも、先生の方が生徒の国の言葉を覚える方が良い」と。

だから、我々の太極拳は「単鞭」を「たんべん」と日本語読みするし、四正の「ポン、リー、ジー、アン」というような独特の概念は、そのままカタカナ読みをすることもあれば、套路に出てくる「上歩打擠」を「じょうほだせい」と呼ぶように、同じ「擠」でも読み方は状況によって使い分ける。全ては日本語が流暢であった師祖父が、学びやすいようにと工夫してくださったことだ。それは即ち、例えば技の名前には中国語ならではの意味もあるだろうが、その取捨選択は師祖父が自ら行った上で、言葉一つにおいても妥協することなく、我々用にカスタマイズし完成された体系の形で我々に伝えてくださったという事でもある。我が門の武術は、そういう意味でも稀有なものだと言えるかもしれない。本当にありがたいことである。

ところで師父が大事な文章を書かれる時は、老荘思想のみならず、淮南子など様々な中国思想から引用されることが度々あった。それらの文章に含まれた内容ははまさに「温故知新」で、このような文章や内容が古代の中国で既に記されていた事に毎回深い感慨を覚えていたわけだが、ある時、師父はいつこのような勉強をなさったのだろう?と不思議に思って尋ねたところ、実に印象深い師祖父の言葉を教えてくださったのであった。その言葉とは、「我々の武術は、こういうもの(中国思想)を当たり前のように学んでる民族が作り出したものなのだ」と。

そんなわけで、師父に教えていただいた師祖父の言葉を聞いて以来、旅行カバンの中には「老子」や「墨子」がいつも眠っている。もっともお恥ずかしい話だが、なかなか読み進まなくて、なんて不勉強な弟子だろうと我ながら自己嫌悪である。

また、このようにも思う。例えば「上下相随」や「虚実分明」などと言った要訣は、一つ一つの言葉の中に含まれる意味合いが実に多い。かつ、それぞれの段階にそれぞれの「上下相髄」の意味があり、しかもどの段階においてもその言葉だから腑に落ちるといったニュアンスを含んでいる。「何を大切にするか」という事と同時に、「何を切り捨てるか」はもっと大事で難しい。だからこそ、このような一つの言葉に様々な意味を込めて残したりもするのだろう。

我が門の「三拳弊習」のシステムは、そういったことも全て含んだ背景があってこそ、成り立っていると言って良いかもしれない。

冒頭では「先生の方が生徒の国の言葉を覚える方が良い」との言葉を紹介したものの、もちろん、弟子としてしっかりと師の国の言葉を覚えて師の信頼を受けながらその国の伝統武術を学び、本場の武術そのままの技と風格と理論でもって教えてらっしゃる先生も知っているし、言語を越えて武術の本質を掴み得た先生もいらっしゃって、そう言った姿を実際に見てきた。なので、ここでどの形が一番かを論じるつもりはない。伝承という事の難しさや尊さを知る身としては、様々な形でそれぞれに伝承を積み重ねてきたことに、その姿に、ただ、ただ、感謝と畏敬の念を覚えるのみである。


スポンサーサイト
プロフィール

Author:宇野 道夫
「内功武術 明鏡拳舎」を主宰。
陳[シ半]嶺(Chen Pan Ling)の流れをくむ
太極拳・形意拳・八卦掌
の三拳を修めている。
縁あって愛知県の江南市。神奈川県の相模原市で後継者の育成にあたっている。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。