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小説家・金庸先生

小龍女
金庸という小説家をご存知であろうか? 

「金庸とは『中国人のいるところ金庸の小説あり』とまで言われるすごい小説家なのである。」

…とのフレーズは、自分がホームページでも紹介していた懐かしい一節だ。

なぜ金庸の話題なのかというと、金庸小説に詳しい人は
「もしや倚天屠龍記に出てくる張三豊や太極拳の話か?」
などと想像するかもしれないが、そうではない。(笑)

自分が師父の武術に惹かれた理由の一つに、師父の教えてくれる技の意味や用法は、まるで金庸小説の世界そのままを髣髴させるものだったというのがある。
金庸小説の技の応酬では「無造作に出された手のように見えるが、その中に幾つもの変化を含み」等の文章が出てくるが、師父に教わる技はまさにそんな雰囲気だったのだ。

「まさかこの動作にそんな意味や使い方が!?」「この一手の中にこんなにも応用を含んでいるとは!?」と、何度「目から鱗が落ちる」思いをしたか知れない。単なる過渡式と思って行っていたところが、急に生き生きと意味を持った動作に変わる瞬間だ。

師父が用法を見せてくれたり解説してくれたりすると、自然と頭の中で金庸小説に出てくる上記のような一節が浮かんでくる。時にはそういった文章と相まって、幾重にも技のイメージを膨らませてくれた。
そしてそれは、まさしく自分が求めていた中国武術のイメージそのものであったのである。

「これは良い技ですね!」
師父が解説とともに技を見せてくださるのと同時にそんな言葉が出てることも度々であった。
そんな時、頭の中で金庸小説の登場人物が「好い技だ!」と、親指を立てて褒め称えている様子がリンクする。
別に小説のせりふを真似たわけではないが(笑)、良い技とはこういうものを言うのだと深く感じ入って、自然と言葉が出てくる。

自分が金庸小説を読んでいたこと。それが好きであったことが、どれだけ理解を助けてくれ、技の発想を広げてくれたことだろう。また、そういったこだわりが、今の自分の原点であるとも言える。

そんな武術においても大恩のある金庸先生が、自分に向かってすっと手を差し出してくださったときのことを今でも覚えている。(※1)この時はまだ、徳間書店様の金庸先生を紹介する小冊子(販促用リーフレット)のイラストを仕事で描く前のことで(※2)、ただの一ファンとして趣味で小説に出てくる登場人物を描きながら金庸先生を紹介するサイトを作っていただけの時であった。


(東方不敗vs任我行)

日本語版を翻訳されていた岡崎先生がそのファンサイトに載せている絵をご覧になっていて、金庸先生に自分の描いた絵をお渡ししようとしていた自分を紹介してくださると、金庸先生は真っ直ぐに自分の目を見て、なんと先生の方から握手の手を差し出してくださったのだ。金庸先生の暖かい手と眼差し、この時の感慨は忘れられない。

のちに金庸先生から一枚の色紙をいただいた。


「熊猫様」とあるのは、自分のホームページの名前に由来している。

金庸先生が教えてくれたのは技だけではない。

小説の中に描かれる武林の姿は、まるで現実の姿を鏡に映し出したかのように様々な人間像を浮かび上がらせ、登場人物らを通して「どういう人間が、どのような事を語り、どのような行動を取るのか」を、そして「武術とは何か」ということや、「本当に大切なものは何か」を、率直に語ってくれている。

香港の「明報」という新聞社の社長でもあった金庸先生の透徹した視点が語るものは、新聞というリアルも小説という虚構も、共に人間の姿を映し出すと言う意味において陰陽のように表現の違いでしかない。

金庸先生の描く武術は想像ではあったとしても、文章と言う特質を活かしながら、戦いに関する洞察や技というものの本質を描いているからこそ、既成のものに縛られることなく武術そのものの発想を広げてくれるのだろう。

自分の武術にとっても、人生においても、どれほど大きな影響を与えてくれたか計り知れないのが金庸先生なのである。


(※1)
2001年11月5日 神奈川大学「第11回日中交流シンポジウム」
基調講演『金庸は語る 中国武侠小説の魅力』にての出来事

(※2)
日本の「金庸公式ホームページ」にて、この小冊子の絵を見ることが出来ます。


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No title

金庸先生から色紙を送っていただいたのが11年くらい前でしょうか。
すべての小説の日本語版が出版されてからも、随分とたちますので、なにやら懐かしい思いがします。

私も武侠小説の武術の名前や表現に惹かれてファンになったところがあります。
達人たちの攻防が目に浮かぶ、又は想像させる、あるいは凄すぎて想像できない(^^;…など、これまでにない魅力に興奮したことを思い出します。
後から知りましたが、金庸先生自身も呉式太極拳を学んでいたことが、その表現につながったのではないかと感じました。

金庸先生は90歳を過ぎて、もうほとんど自宅からはお出にならないようですが、相変わらずの健啖家で、つい食べ過ぎて奥様に叱られるくらいにお元気だそうですw
とはいえ、もう簡単には来日されることはないので、太秦でお会いできなかったことが、返す返すも残念でなりません。

Re: No title

あれからもう、11年も経つんですねぇ。
ずいぶんいろんな変化があるわけですね。
八雲さんには、その頃から何かとお世話になっております。

太秦の件は返す返す残念でしたね。
本当にあの時でなければ実現しなかったことでしょうし、金庸先生の体調が万全であったなら、本当に素晴らしい出来事が実現していたことでしょう。
自分もあの日は合宿を途中で切り上げ、体調が悪い中太秦に向かった事を思い出します。
観光はそっちのけで、ただ、ただ、金庸先生の講演を愉しみにしていたものです。
金庸先生が太極拳をされていたというのは、何歳くらいの時の事だったのかが気になりますね。
しかし、太極拳に限らずあらゆるタイプの武術が活き活きと描かれている、それも登場人物の魅力と相まって、より豊かに感じられるのが金庸先生の小説の素晴らしいところですね。
三拳弊習のシステムはそういったオタク心も満足させてくれるところもあり、十二形や先天八掌のような動物シリーズにもどれだけワクワクしたことか。(笑)

No title

金庸先生が学んだのは、呉鑑泉の次男・呉公藻だったそうです。しかし、その時期ははっきりしません。
1952年に新派武侠小説が始まるきっかけになった、呉公藻の兄・呉公儀と白鶴拳・陳克夫の試合のあたりであたっなら28歳です。
ただ呉公藻は英国の香港統治時代になると大陸に戻ったとあるので、金庸先生が香港に初めて来た1948年にはすでにいないので、いつ接点があったのかわかりません。随分後年のことなのかもしれません。

しかし、呉公儀と陳克夫の試合が、のちの武侠小説にあたえた影響は多大なものがあったでしょう。
執筆するための取材で交流が生まれたのではないかと思います。
当時目の当たりにした武術に金庸先生がわくわくし、それを小説にしたのを読んだ我々がわくわくする。そう考えると楽しくもあり興味深くもありますね。

Re: No title

>随分後年のことなのかもしれません

というこの考えこそ、実は僕がそうなのでは?と考えていることなのですね。
つまり、金庸先生が執筆を始めた時はむしろ習っておらず、もし執筆中に習っていたとしたらおそらく倚天屠龍記の前後あたりではないかと。

もっとも、日本語訳はテンポを重視して意訳で進めていたところも、実際の本文では右手がどうしたとか描写がかなり細かくて具体的だとの話もありますので、文章から受ける印象の違いはかなりあると思いますが、あの自由な発想と、攻防の本質的な描き方は、現実的な武術というよりもむしろ囲碁などに着想を得ているように感じます。それが詩的な技名と相まって、独特の世界観を表現している。僕の場合は、かえってそんなところにワクワク感を感じますねぇ。(笑)

なぜかというと、実際の戦いに比べれば囲碁ではその何万倍もの対局が行われているわけで、その攻防の哲学が金庸先生の稀有な才能によって武術の世界に当てはめて展開されていると考えれば、それを愉しみながら味わうだけでも自然と技に対する考え方も広がるというものです。

相当マニアックな愉しみ方にも思いますが。(笑)
プロフィール

Author:宇野 道夫
「内功武術 明鏡拳舎」を主宰。
陳[シ半]嶺(Chen Pan Ling)の流れをくむ
太極拳・形意拳・八卦掌
の三拳を修めている。
縁あって愛知県の江南市。神奈川県の相模原市で後継者の育成にあたっている。

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