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「ポジショニングと内功武術」

ポジショニングはポジショニングでも、今回は介護の「ポジショニング」に絡めた話である。

介護と武術というと、巷では古武術の技術や身体操作を介護現場に活かすということが何年も前から時折話題にあがっているので、今更と思われるかもしれないが、今回の話は介護の技術を武術にという話だ。
以下は、ふとした思い付きから最近、教室で初めてポジショニングの視点から教えた時の生徒の感想である。

◆「今回の先生の、介護でのポジショニングのお話しを含んだご説明で、自分はなぜあんなに新鮮にかんじたのかな?と考えておりました。僕の中で変わったのは、練習の時等、その時点での自分にとっての答えが、自分の中にあるという感覚が増えた気がします。太極拳もゆっくりと練習してみましたが、ゆっくり行う目的を、以前より感覚的にも持てて嬉しく思いました。」

読んだだけでは何となく流れてしまうかもしれないが、この感想は、クラシック音楽のプロのギタリストであるYさんが書いてくれたものだ。

非常に繊細な身体感覚を持つ彼の言葉は、まさに自分が教えながら感じた感想そのもので、ある意味、初学者が掴みにくい内功的な部分が、ポジショニングのアプローチを使うと、彼の感想のようにとてもシンプルに捉えることが出来るのだ。

同じ意味の事は普段の練習でも教えているし、推手含め、具体的な練習方法もある。だが、それでもなお新鮮さを感じ、効果があったということは、そこに新たなヒントがあるということだ。

そもそもそのポジショニングとは何か?という話については、このブログを書くにあたって「わくわく直観堂」さんのホームページを参考にさせていただいた。

http://www.waku2chokkan.com/hpgen/HPB/entries/101.html

そこに書いてある部分を抜き出してみると、

ポジショニングは、「目的を達成するために身体各部の並びを整えてふさわしく、好ましい姿勢、体位を実現する。その姿勢・体位は安全で快適であること。」を意図したものであるということ。

またポジショニングの肝は、安定して体位を保持する、筋緊張を緩和する、体圧を分散する、動き出しの起点をつくる、という事にあるということ。

こうしてみると全体的な雰囲気として近いものを感じるかと思うが、このポジショニングの技術は、内功武術における「まず自分の身体を感じる」ということについて、新たな視点からのアプローチになりえると思うのだ。

普段よく思うことは、初心者に「まず感じる」と言っても、「何を」感じれば良いのか?それが難しい。感じるということは実感してわかってしまえばシンプルな話なのだが、わからないうちはその要求は非常に曖昧で抽象的なものだ。

ところが、ポジショニングの技術は、その導入の難しさを容易にしてくれるのである。

もちろん、それが初心者に限らず、我々にとっても意外な効果をもたらすことは、Yさんの感想でも明らかだ。

では、その「感じるものとは何か?」。

一言で言えば「力」だ。

「心、意、氣、力」の「力」。

そしてそれは、「大きな力」ではなく、「小さな力」。

介護の技術を武術にと言えば、「心、意、氣、力」の四つの視点からすると「心」がテーマになるのが相応しい気がするのだが、今回のこの話は、それが対極にある「力」からのアプローチの話になるのが面白いところだ。

だがそれも、相手の状態を理解する、相手の気持ちになろうとして生まれてきた技術と考えれば、それが「感じる」為の具体的な技術というのもしっくりくる。

重度の身体障がいを持った方というのは、コミュニケーションをとるのが難しい場合も多く、介助者が状態から想像するしかない。そして状態をより正しく把握する為に考案されたのがポジショニングの考え方とも言えるであろう。

ポジショニングとは、確かに簡単に言ってしまえば「楽な体勢を確保するための技術」であるが、その状態を確保する為の過程には、上述の知識のもとに相手の様々な「力」を感じながら、状態を探っていくことが不可欠だ。

「力」によるアプローチから相手の状態を理解することによって、介助者の思い込みによらずに、より適切な体勢を確保することが出来るのである。

我が門には「極端にしてみることで、気づきがある」という教えがあるが、内功武術の目で見ればなんのことはない、自分がポジショニングを行っている現場とは、身体や力を感じるということにおいて、あくまで同一線上にある一つの極まった状況と捉えることが出来るであろう。

自分の場合、少林寺拳法や大東流においても、整体の基本的な考え方を教わった事で技が大きく変わった経験をもっているが、結局は、治す事も壊す事も表裏一体というように、これもまた陰陽だということだ。

内功武術はつくづく繊細で緻密なものだと思う。

繊細で緻密というと、こと武術においてはこれらの言葉を聞いた場合、大抵の人が思い浮かべるのはどちらかというと「繊細で緻密だが、脆い」というようなネガティブなイメージではなかろうか。

というのも、繊細で緻密なのは「巧さ」の表現であって、「強さ」とは結びつきにくいからだろう。

だが「繊細で緻密だからこそ、構造的にしっかりして無駄がなく効率的」なのが内功武術である。

それは強固な建造物が、資材の一つ一つを吟味し、緻密に計算された上で、繊細な作業によって造られているようなものだ。

このブログでは、内功武術のブログにもかかわらず呼吸法や氣や経絡などと言った、いかにも中国武術的な話はほとんど出てこない。

だが、それだけでない内功武術がある。

理にかなった動作や武術というものは、それだけでたくさんの語るべきものをもっているはずである。

「心、意、氣」のみならず、「力」についてこんな風に語れることこそ、内功武術ならではの味わいではなかろうか。
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プロフィール

Author:宇野 道夫
「内功武術 明鏡拳舎」を主宰。
陳[シ半]嶺(Chen Pan Ling)の流れをくむ
太極拳・形意拳・八卦掌
の三拳を修めている。
縁あって愛知県の江南市。神奈川県の相模原市で後継者の育成にあたっている。

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