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「包拳礼」

前回の更新から随分経ってしまった。
最低でも月一の更新をと思っていたので、初めて先月は何も書かないでしまったことになる。
正直、弟子の死を引きずってしまっていることもあり、再開に当たって最初のテーマを何にするか悩んだのだが、幾つか考えたうち、もっともこれだと思えたものが「包拳礼」についてのエピソードだった。

日本の武道では「礼に始まり、礼に終わる」という言葉があるが、こういった心境の時に、あえて礼の話から始めるのも良いだろう。ということで今回のテーマは「包拳礼」である。

我が門の教室では、礼はこの包拳礼で行う。

包拳礼の形式や細かい説明は省くとして、この礼の最も特徴的なところは、日本式の礼のように頭を下げたりはせず、むしろ相手をしっかりと見て「眼に自分の気持ちや意志を込める」と言うことにあるだろう。

例えば先生に「感謝の気持ち」を。例えば仲間に「共に良い学びをしよう」という誓いを。
これから練習が始まる時に、相手と組んで行う時に、練習の終わりに、様々な状況において、その時々でもっともふさわしい言葉や気持ち、全てを眼に込めて相手に伝えるのである。それが我々の包拳礼だ。

日本人ならつい、頭を下げて礼をしたくなる気持ちはわかるし、教室ではそれを敢えて注意はせず容認しているが、少なくとも包拳礼の考え方や頭を下げないことの意味が深く浸透しているのが、生徒たちの姿からもわかる。

ところで、なぜこの包拳礼がテーマなのかと言うと、引きずってると言いながらも再度、弟子との最後の別れの話になる。

弟子は最期の最後まで痛み止めを使わなかった。大腸がんの末期は「死んだほうがましだ」とある俳優が言い残すくらいに、ひどい痛みに苦しめられるそうだ。だが、痛み止めにはモルヒネが含まれていて意識が混濁してしまうということで、最期まで家族を、そして自分を含めて大事な人を認識するために、痛み止めを使うことを拒み、激痛と共に生き続けた。それが弟子の戦いだった。

それだけではない。色々と気配りができて、絶対に弱音ははかないような弟子だったからこそ、後から考えればあれもこれも色んなところで戦っていたのだということが、亡くなった後でわかった。もちろん真相は本人にしかわからないこともあるが、残された状況がそれを物語っていた。

弟子が亡くなる前々日。一緒に自分に学んでいる弟子の娘さんからメールが届いた。

夜の1:03分だった。

そんな時間に届いたメールというのは、いつどうなってもおかしくない危険な状態なので、最期に母に会って欲しいという内容だった。娘さんも連日、ほとんど眠れていないに違いない。

直ぐに「行きます」という返信を送ると、僅かな睡眠をとって弟子の入院している病院へと向かった。

…最後に会ったときの弟子の姿というのは、口は半開きで、片目はほとんど閉じた状態であった。
身体も身じろぎ一つせず、ただ、開いたほうの左目だけが一生懸命に何かを語りかけていた。
と同時に、声にならない声を一生懸命に出そうとしていたのがわかった。

「ああ、弟子は自分に何かを語りかけようとしているのだ」

…だが、その言葉は少しも理解できなかったし、何を言おうとしているか推測すればするほど色んなことが浮かびはするのだが、しかし、どれも何か違う気がした。

なにより目の前に横たわっている弟子が…、あの才気に溢れ、誰からも頼りにされていた弟子が、そんな姿に成り果ててしまったことの悲しみに打ちひしがれてしまっていたのだ。

そして弟子が訴えていたことがわからないまま、だが、意識ははっきりしているのだという事だけは確認したうえで病室を後にした。

その2日後、奇しくも弟子が息を引き取ったその日の朝に、窓から射す朝日を浴びた瞬間にその答えが見つかったのだが、その内容やそのことに関する一連の話はここでは留めておく。

ただ、先日。学生のK.Fさんとのメールのやり取りの中で、こんな質問があった。

「最後に会ったとき、ひとみさんは私に何を目で訴えたのだろう。何を話してくれたのだろう。わかる気は、するのですが、、その瞳が焼き付いております。先生は、どう思われますか?」

ああ、やはり弟子は最後に会った一人一人に語りかけていたのだと思いながら、こう返事を書いた。

「…僕から言えることは、「何を」という言葉を考えるのではなく、ひとみさんの「心」を受けとめる事です。我々には包拳礼に「眼神」という「目に気持ちを込める」という教えがあります。…」

その言葉を書いたとき、ようやく答えの最後まで辿り着くことが出来た気がした。

弟子が最期に自分に向けた視線、それは包拳礼だったのだ。

そうだ。

あの愚直なまでに真摯な弟子ならば、きっと包拳礼に全ての気持ちを込めたであろう…。
眼に、全ての気持ちを。

まさに武術家として立派な最期だったのだ。

逆に言えば、自分はまだまだ師として、武術家として未熟だということだ。
武術家として弟子の最期の包拳礼を受けとめる事が出来なかったことは、生涯の戒めとなるだろう。

そして、包拳礼に気づけなかったことで、答えを出すまでに随分遠回りをしてしまった。
もちろん、その遠回りのおかげで自分にとって大切な出来事もあった訳なので、その事にも重要な意味があったようには感じているのだが。

そうした事も含めて今にして思うのは、「心、意、氣、力」で言えば、朝日を浴びながら浮かんだ答えはあくまで「意」の段階における答えだったのだ。そして「心」の段階の答えは「包拳礼」。そう考えればあのときの弟子の姿が、「心、意、氣、力」を全てを貫き、一つとなる。

そんな素晴らしい弟子に、このブログをもって、あらためて包拳礼を捧げる。

「葉桜 」 ~最初の弟子のこと~

話は、前回のブログ「嬉しい日」に書かれた前日に遡る。

土曜日。宇童会の始まる時間の前には、いつも弟子と一緒に、喫茶店でその日の参加者の確認や、軽いミーティングを行うのだが、その日はいつもと違っていた。

弟子が病院から退院したその足で来てくれたのであった。

一度は消えた肺の癌だったが、今では全身が癌に侵された状態であった。喫茶店に現れた弟子は、ようやく身体を保っている状態で、本人の気力と、太極拳で培った丁寧な体重移動で、ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように歩いてきた。ほんの数歩の距離を、ギリギリの集中力で支えていたのだ。

本人は今回の教室もせめて短時間の見学だけでもと思って来たわけだったが、すぐにそれすら無理だという事がわかった。どの体勢でいてもすぐに痛みが強くなる。とても短時間すら持ち堪えられそうになかった。

そんな様子を見ながら、店内の空気が少し冷たかったので、車の中は暖かいだろうと場所を移し、話をしがてら宇童会が始まるまでの短時間、プチドライブをしようという事になった。

ドライブと言っても、行き先はいつも朝の自主練習会を行っている公園を見に行こうと思ったのだ。

その自主練習会のスペースには以前、ある日突然、枯葉やゴミの山が置かれるようになってしまった事があった。それを弟子が市に必死でかけあいながら、何人かの有志でそこを掃除して綺麗にし、職員に確認してもらうなどの努力をして守ってきた大切な練習場だったのだ。

だが、駐車場には着いたものの車から下りて歩く体力もなく、車の窓を開けて、そこから吹き込んでくる風を感じながら、練習場のある方を眺めた。

公園の隣には高校があって、道沿いに葉桜が咲いていた。

その姿に、桜の散る儚さよりも、新しく芽生える生命の息吹を感じた。

弟子の命はもう長くない。それが痛いほど伝わってきて、余計に新しい生命が眩しかった。

そして、「嬉しい日」だった次の日曜日。
その時のブログにあえて書いてなかった事。

その日も弟子は、拝師弟子練習の為と、例の2人の生徒を自分に会わせる為に、身体に鞭打って出てきた。

入院中の拝師弟子練習は座学が中心であったが、弟子の最後のお願いという事で今回はお休みとし、2人の生徒が経営している喫茶店に行くまでの時間、初めて出会った北名古屋市の公園を見に行くことにした。

そこで、弟子に套路を幾つか見せる。ここが始まりの場所であった。ここから宇童会が生まれたのだ。

その後、喫茶店の駐車場に着くと、しばらくの間、弟子は目をつぶって身体中の気力を振り絞るべく休む。だが、もう身体にほとんど力は残ってなかった。弟子の腕をとって身体を支えてやりながら店に入り、陶芸の飾ってある一階から、喫茶店スペースの二階へと階段を登る。

もう、2人の前で元気な姿を見せる為に、無理をして頑張らなくても良いのだと、階段を、手を引いて一歩一歩登りながら、心の中で涙が溢れた。

お二人の名前は「正子」さんに「いずみ」さんという。「正」は明鏡に繋がり、「いずみ」は明鏡止水を思わせる。お二人とも明鏡拳舎に何かしらの縁を持って現れたようにも感じた。

その後の事は「嬉しい日」のブログに書いた通りだ。

特に、太極拳をし終えた後の目の見えないいずみさんの明るい笑顔が、本当に心洗われるようであった。

そんな様子を、弟子は嬉しそうに、ホッとしたような表情で眺めていた。

ーーーーーーーーーーーーーーー
平成27年 5月8日
開門弟子・加藤ひとみさんは永遠の眠りについた。

2年以上の闘病、痛みと苦しみからようやく解放されたのだ。弟子にとって生きるという事は、常に痛みや苦しみを伴うものであった。それでも弟子は生きる道を選び、最期の最後まで戦った。我が門の「今出来ることを丁寧に工夫しながら行いながら、少しでもいいから前進すること」を真摯に守り抜きながら。

途中で気付いた事。それは「お疲れ様、よく戦ったね。」そう言ってあげられるのは、痛みがなくなるのは、もはや死を迎えた時しかなかったのだ。

初めて出会った公園を見ながら、

「死ぬのは怖くない。死んでしまえば、痛みも気にせずに自由に練習出来るから」

そう呟いていた弟子であった。

いつだって工夫し、ベッドに横たわりながらでも練習をしていた弟子。危篤状態になる前日までそれは変わる事はなかったと、ご家族がその様子を伝えてくれた。

いつか治った日の為に、いつか元気になった時の為に、その功夫が活きるような内容を二人で模索し、闘病の間も積み重ねてきた。ほんの少しでもこの武術を磨く為に。前に進む為に。

この未熟な師匠の元、共に真摯に学びあってきた。

今なら「本当によく頑張りましたね。お疲れ様」と言えるのだけれど、弟子が「先生~。今、練習中です!」と笑顔で答える顔が目に浮かぶようで、むしろ「これからは距離も関係なく、いつでも、何度でも套路を見せてあげられますよ」と言ってあげた方が相応しい気がしてしまうのだ。

自然が大好きで、真摯で、本当に優しい心を持った弟子であった。

そんな素晴らしい弟子に出会わせてくれた人生に。
そして、自分に生き甲斐と教える事の喜びを与えてくれた弟子に、感謝を込めて。

願わくば、あの葉桜の風景のような場所で、風に花びらが舞う中、弟子が伸び伸びと自由に、私達の武術を練ってますように。

嬉しい日

先々週の日曜日は嬉しい日であった。

それは、初めて弟子が教えている生徒に会うことが出来たからだ。
そして弟子が教えた太極拳をその生徒さんが打つ姿を見ることは、こんなにも嬉しいものなのかと、しみじみ感じ入った日であった。

もっとも、弟子のH.Kさんには正式な教練資格を与えているわけではないが、これには理由がある。

昨年の秋からの事だが、教室には参加出来ない方の為の別枠として、H.Kさんが教授代理として新たに教室を開く事を許可した。そこで習っているお二方は母娘で、喫茶店を経営している関係でどうしても時間が取れない事もあったが、もう一つの大きな理由として、娘さんの方は目が見えなかったのだ。全盲で光すら感じる事が出来ない。

つまり一生、先生の套路を見る事も出来なければ、自分がどういう姿をしているか確認する事すら出来ない。「学ぶ」という言葉は「真似ぶ」から来ているが、同時に様々な部分が連動して動く太極拳を、その学習の最も基本と言える「見て真似をする」という事が全くもって出来ないという事は、かなりの試行錯誤や工夫を余儀無くされるのは想像に難くないだろう。

H.Kさんは今までにも、療養先のサナトリウムで院長先生の奥様に請われて教えたり、やはり療養に来ていた作家でもあり監督経験もある才能溢れる女優さんを含め、短期間ではあるものの幾人かを教えたりすることになった時もあった。

その時も自分は自信を持って任せる事ができたし、お二人についての話を伺った時も、全盲という自分自身も未体験の難しさを思いながらも、やはりH.Kさんなら大丈夫だと信頼する事が出来た。H.Kさんには時に人一倍厳しく要求しながら、お互い真摯にこの武術に向きあってきた日々の積み重ねが、それを絶対的なものに感じさせてくれる。

教えるという事については、自分自身でも経験している事だが、いざ、この武術を教えるとなると不思議な事に次から次へと教える事が浮かびあがってきて、教える事に困る事がない。また、時と状況に応じて様々に工夫するだけの理解が備わっている事にもあらためて気づく。

むしろ教えれば教える程様々な気づきがあり、こんなにもたくさんのものを自分は習っていたのだと、振り返るのだ。

実際に自分が会ってみるまでに、H.Kさんから聞く新しい教室の様子は、実に興味深いものであった。

我々が大事にしている「まず自分の身体を感じる」ということ。それがまさに、教えた事に対して娘さんから帰ってくるリアクションや言葉は、「感じる」という事の純度の極みと言えるものであった。ナチュラルに出てくる感想が、まるで内功武術の核心部分について話をしているかのようでもあり、一言一言が実に豊かな内容に溢れていた。

H.Kさんが、工夫しながら確かなものを教えている様子が、その内容から活き活きと伝わってくるようだった。

そしてとうとう、初めてお二人の套路を見せてもらったわけだが、目の見えない娘さんが伸び伸びと太極拳を打つ姿に、どれ程感動を覚えた事だろう。それはまさに明鏡拳舎の太極拳であり、同時に、弟子の太極拳であった。

一回一回に進めるのは、ほんの僅かだ。身体にあちこち触れてもらったり、手で導いたりして、全体像を頭の中に構築してもらって、初めて次に進める事が出来る。

まだまだ最初の方の7勢だけではあったものの、ここまでに至る弟子の工夫と、真摯に教える気持ちが、その姿に込められていた。

我々の太極拳とは何か。
その問いに対する答えが、ここにある気がした。
あくまで武術として教え、武術として磨いていく。
そこに「義」がある。

我々の武術には、段や級もなければ、賞とも無縁のものだ。

だが、もっとも大切なものがここにはある。

小説家・金庸先生

小龍女
金庸という小説家をご存知であろうか? 

「金庸とは『中国人のいるところ金庸の小説あり』とまで言われるすごい小説家なのである。」

…とのフレーズは、自分がホームページでも紹介していた懐かしい一節だ。

なぜ金庸の話題なのかというと、金庸小説に詳しい人は
「もしや倚天屠龍記に出てくる張三豊や太極拳の話か?」
などと想像するかもしれないが、そうではない。(笑)

自分が師父の武術に惹かれた理由の一つに、師父の教えてくれる技の意味や用法は、まるで金庸小説の世界そのままを髣髴させるものだったというのがある。
金庸小説の技の応酬では「無造作に出された手のように見えるが、その中に幾つもの変化を含み」等の文章が出てくるが、師父に教わる技はまさにそんな雰囲気だったのだ。

「まさかこの動作にそんな意味や使い方が!?」「この一手の中にこんなにも応用を含んでいるとは!?」と、何度「目から鱗が落ちる」思いをしたか知れない。単なる過渡式と思って行っていたところが、急に生き生きと意味を持った動作に変わる瞬間だ。

師父が用法を見せてくれたり解説してくれたりすると、自然と頭の中で金庸小説に出てくる上記のような一節が浮かんでくる。時にはそういった文章と相まって、幾重にも技のイメージを膨らませてくれた。
そしてそれは、まさしく自分が求めていた中国武術のイメージそのものであったのである。

「これは良い技ですね!」
師父が解説とともに技を見せてくださるのと同時にそんな言葉が出てることも度々であった。
そんな時、頭の中で金庸小説の登場人物が「好い技だ!」と、親指を立てて褒め称えている様子がリンクする。
別に小説のせりふを真似たわけではないが(笑)、良い技とはこういうものを言うのだと深く感じ入って、自然と言葉が出てくる。

自分が金庸小説を読んでいたこと。それが好きであったことが、どれだけ理解を助けてくれ、技の発想を広げてくれたことだろう。また、そういったこだわりが、今の自分の原点であるとも言える。

そんな武術においても大恩のある金庸先生が、自分に向かってすっと手を差し出してくださったときのことを今でも覚えている。(※1)この時はまだ、徳間書店様の金庸先生を紹介する小冊子(販促用リーフレット)のイラストを仕事で描く前のことで(※2)、ただの一ファンとして趣味で小説に出てくる登場人物を描きながら金庸先生を紹介するサイトを作っていただけの時であった。


(東方不敗vs任我行)

日本語版を翻訳されていた岡崎先生がそのファンサイトに載せている絵をご覧になっていて、金庸先生に自分の描いた絵をお渡ししようとしていた自分を紹介してくださると、金庸先生は真っ直ぐに自分の目を見て、なんと先生の方から握手の手を差し出してくださったのだ。金庸先生の暖かい手と眼差し、この時の感慨は忘れられない。

のちに金庸先生から一枚の色紙をいただいた。


「熊猫様」とあるのは、自分のホームページの名前に由来している。

金庸先生が教えてくれたのは技だけではない。

小説の中に描かれる武林の姿は、まるで現実の姿を鏡に映し出したかのように様々な人間像を浮かび上がらせ、登場人物らを通して「どういう人間が、どのような事を語り、どのような行動を取るのか」を、そして「武術とは何か」ということや、「本当に大切なものは何か」を、率直に語ってくれている。

香港の「明報」という新聞社の社長でもあった金庸先生の透徹した視点が語るものは、新聞というリアルも小説という虚構も、共に人間の姿を映し出すと言う意味において陰陽のように表現の違いでしかない。

金庸先生の描く武術は想像ではあったとしても、文章と言う特質を活かしながら、戦いに関する洞察や技というものの本質を描いているからこそ、既成のものに縛られることなく武術そのものの発想を広げてくれるのだろう。

自分の武術にとっても、人生においても、どれほど大きな影響を与えてくれたか計り知れないのが金庸先生なのである。


(※1)
2001年11月5日 神奈川大学「第11回日中交流シンポジウム」
基調講演『金庸は語る 中国武侠小説の魅力』にての出来事

(※2)
日本の「金庸公式ホームページ」にて、この小冊子の絵を見ることが出来ます。


最近の気づきと、守破離

しばらく前から形意拳の技のかかりが変わってきているのを感じていたが、最近になって、これもまた八卦掌と太極拳が形意拳の中で陰陽のように融合した一つの現れ方・成果なのだということに気づいた。
それも枝葉の話ではなく、起鑚落劈という形意拳の根の部分での話で、しかも、八卦掌と太極拳の特徴もまた存分に活かされているのが面白い。技の可能性も広がっていくだろうし、その観点でもう一度五行拳から見直すのも良い。また一段、五行拳も深まって戦略の幅も増えそうだ。

しこうして、その気づきとは、捻りの方向とその変化がもたらす現象についての話なので、それだけを取り出してみれば決して特別なものではない。
しかし、捻りが何にどう繋がって、どのような展開を見せるのか。それが技術体系だ。ただ「捻り」と言っても、太極拳、八卦掌、形意拳で、その意味も目的も異なれば、質も異なる。
が、異なるからこそ、それが上手く組み合わさった時には意外な効果をもたらすものだ。

以前、三拳弊習について書いたときには、形意拳の中にこんな太極拳と八卦掌の融合があるとは気づいていなかった。これだから三拳弊習は面白い。不思議なもので、三拳の特徴を際立たせるべく分けようとすればする程、その先でますます密接に結びついていく感覚がある。

きっと何年後かには…いや、三拳弊習についてはこれからも何度となく、その段階での三拳を語る事になるだろう。

もっとも、このように書くとある人はこう思うかもしれない。「このブログを書いている人物は自分の考えを書いているだけで、三拳について深く習ってはいないのか?」と。

そうではない。

深く教えていただいたからこそ、次々と色んな事をテーマに掘り下げてみようという発想が浮かんでくるし、自分が出来るようになって、初めて見えてくるものもある。何より、こうした気づきや発想と練習の繰り返しによって自身の理解と技を深めていくことこそは、そもそもの武術の醍醐味ではなかろうか。

日本の伝統芸能には守破離(しゅはり)の考え方がある。

守破離は元は
「守り尽くして、破るとも、離るるとも『本』ぞ忘るな」
の守破離をとった言葉だそうだ。

守り尽くしてとは、自分で言うのもなんだが、我ながらまさにその通りだと思う。師父から教わった事を大事に守り通し、実践してきた。だから、今があるのだ。

だが、そこから先の破と離については、ネットで改めて解説を読んでいると、どうにもしっくり来る説明が見つからない。

破は、他流も研究するとか、セオリーから外れてみると説明しているものもあれば、離は、型から自由になり、型から離れて自在になることができる、というような内容である。

だが、それでは何のための型であろうか?と思ってしまうのである。型はその流派の理合いであり、そこから外れてしまったら、破ではなく単なる技の破綻だ。

どんなにセオリーから外れようとしても、人間の身体の構造は変わらないし、あらゆる物理法則から解放される事はない。その中で動かなければならないし、それを使いこなす為の理合いこそが型のはずである。

では、自分にとってしっくりくる守破離とはなんだろうと思い考えてみると、浮かんできたのは「三層の功夫」だ。

明、暗、化。この3つの段階の考え方こそ守破離に当てはまるのではないだろうか。

【守ー明】
・明らかに目に見える形で、一つ一つしっかりと教えを守っていく段階である。それによって理合いを学んでいく。

【破ー暗】
・理合を一通り学んだ上で、自身と向き合い、個人差による微妙なズレを擦り合わせていく時期であり、様々な気づきや工夫を成功・失敗を通して試行錯誤する時期とも言える。それは一見、形が崩れているように映ったり、勝手な事をやっているようにも映るが、自身と型の統合や、技の発展があるのがこの時期と言えるだろう。
型から外れているように見えても、あくまでその人が見つめているのは基本であり、型なのである。

その一方で、実際に使ってみようとして上手くいかない経験を多く積むのもこの頃だろう。しかしその原因というと、ほとんどは力に頼ってしまったり、普段練習していることと違う事をやってしまったという感じではなかろうか。上手くいかないからといって型を捨てるのではなく、他に求めるのでもなく、まず破るべきは、自分の中にあるあらゆる固定概念である。

【離ー化】
・どんなに自由に振舞っても、型(理合)から外れる事がないくらいに、経験の積み重ねによって、型が身体にも脳にも染み込んだ状態である。また、理合いが身体に染み込んでいるからこそ、自在にも動けるわけだ。
また、そこまでに至る自身の様々な工夫や経験を伝えようと思えば、必ずや基本の中にその考えもまた反映されていくだろう。なぜこの基本が大切なのか、基本で何を学ぶべきなのか、と。もちろん、それは套路にも言える。

こうして書いてみると、あらためて感じるのは、

自分が教える太極拳とは、
師父が教えてくれた太極拳でありながら、
師父の太極拳ではなく自分の太極拳であり、
ではその自分の太極拳はと言えば、
自分の太極拳などというものはなく、
ただ「太極拳」なのである。

ということだ。八卦掌や形意拳も然り。
守破離の元になっている言葉にある最後の言葉。「『本』ぞ忘るな」とはそういう事でないかと、自分なりに考える次第である。
プロフィール

Author:宇野 道夫
「内功武術 明鏡拳舎」を主宰。
陳[シ半]嶺(Chen Pan Ling)の流れをくむ
太極拳・形意拳・八卦掌
の三拳を修めている。
縁あって愛知県の江南市。神奈川県の相模原市で後継者の育成にあたっている。

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